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ガーデナーの視野 [├ガーデニング・エッセイ]

ガーデニングのブログやWebサイトを見ていると、花の写真がある。まぁ、当然であろう。だけど、思いのほか庭の写真は少ない。庭の全景どころか、花壇の写真もあまり見かけないように思う。

私は、ガーデニングと園芸を別のものと考えている。ガーデニングの要素として、大きく「園芸」と「造園」があり、庭を中心としたとき、よりミクロな視点が「園芸」であり、よりマクロな視点が「造園」である、と。そして、「花」の写真は、「園芸」的な視点と言える。(参考:ガーデニングって何だろう?

私は、園芸をやりたいのではなく、庭づくりがやりたいと思っていたので、花の写真ばかりで、庭の写真が少ないことに不満だった。だから、このブログを始めるとき、花の写真より庭の写真を、と考えていたし、そうするようにもしてきた・・・つもりだ。そして、やってみてわかったことは、それがかなり難しいことである、ということだった。

第一に、余分なものが写る。私の庭の場合、更地に家を建てただけからスタートし、ほんとに一から、少しずつ造っている。だから、完成した場所以外には、資材やら道具やらゴミやら、いろいろなものが散乱している。庭の全景を撮ろうとすると、そういうものが写りこんでしまう。ある程度、全体が出来てきた今でさえ、雑草は生えているし、未完成の部分はあるし、植栽は物足りないし・・・ようするに、全体としてなかなか絵にならない。全景を、そこそこいい感じに(自己満足であるが)撮れるようになったのは、ほんとに今年くらいからだ。

第二に、一年の変化があるとはいえ、絵的に大きな変化があるわけではない。今は、造っている最中だから、作業過程による変化がある(まぁ、これが今のところ「ウリ」ではある)。だけど、完成した庭を撮影しようとすると、変化に乏しいことがわかる。うちの場合、フロントガーデンが最も古い花壇だが、常緑樹が多いこともあり、一年を通してさえ、あまり代わり映えがしない。なんかいつも同じものを撮っているような気がしてくるのだ。

だんだんと、全景よりは、花壇を、そして花、とミクロな視点での撮影が増えてくる。ブログのような日記のような仕組みではなお更で、日々の庭を紹介しようと思えば、「芽が出た」、「花が咲いた」、「実がなった」などとなり、花壇さえなかなか写らない。


最近、浜名湖ガーデンパークのモネの庭(参考:カテゴリ「★ガーデン訪問記>庭園・公園>浜名湖ガーデンパーク」)を紹介していて気がついたことがある。「花の庭」の紹介に比べて、「水の庭」の紹介が圧倒的に少ないことだ。もっとも、紹介したくても、撮影をした写真の枚数自体に大きな差があるのだ。以前、「浜名湖花博で毎週のように通ったが、花の庭をうまく撮れたと思ったことがない」というようなことを書いた(参考:浜名湖ガーデンパーク - モネの庭(2006年4月29日))。そして、当時より撮影しやすくなった今の「花の庭」を見て、視野に変化があることに気がついた。

浜名湖花博当時、私の視野は「庭」だった。フロントガーデンと駐車場の形が出来ていたとはいえ、メインガーデンは迷いながら造っているところで、バックヤードにおいてはほとんど手付かずだった。全体の構成を抑えるので精一杯で、細部にはまったく目が届かなかった。

これを考えると、当時、メインガーデンに迷っていたことも納得できる。バックヤードが手付かずのままなのに、その風景の一部を取り込まざるえないメインガーデンの細部について考えることは困難だったのだ。結局壊してしまった(壊れた?)壁(参考:2003年夏(4) - 壁)などは、メインガーデンに集中するには、バックヤードとの境を仕切る必要があったと感じていたのだろう。壁をしっかりと作らずに、すぐに壊れてもいいように作ったのは、そうすることに迷いもあったのだ。

当時、モネの庭は「水の庭」の方が個人的評価は高かったと思う。フォーカルポイントもなく、全体からも、花壇からも絵を取り出すことが出来ず、わけのわからない印象だった「花の庭」に比べて。今、「水の庭」は、あまり面白くない。絵にはなる。睡蓮の咲いた池と太鼓橋。だけど、我が庭のフロントガーデンを撮影しているときの気分と同じものを感じる。「何度も撮ったじゃないか」と。

バックヤードの概観がまとまってきて、意識が花壇の中の個々の花の組み合わせに向かっている今、「花の庭」が面白い。さまざまな花の形と色、その組み合わせのよさ。そして、モネの庭は、目の前のひとつの花壇だけの組み合わせでは終わらない。その隣の花壇、そしてさらに先の花壇を含めた、花壇の組み合わせの面白さ。知識ではなく、感覚的にそのすばらしさがわかる。カメラの使い方も変わった。広角での撮影から、望遠での撮影へ。広角では、遠景の花が小さくしか写らず、全体としてまとまりがないとしか見えなかった庭。望遠により遠景の花が近づくことで見えてきた庭。(といってもコンパクトデジカメなので、たかが3倍ズーム・・・一眼レフが欲しくなってくるなぁ。)

新しいステージに上がったということをここでも意識させられる。イベント用のいわゆる「ニセモノの庭」において、個々の植栽が気になるようになったのには、明らかに視野に差がでてきたからだ。以前は、全体の構成を意識していたため、造形物やその構成の方が興味の対象になっていたのだ。(参考:次のステージへ - ホンモノの庭とニセモノの庭、植え替えということ


「庭」という視野から、「花壇」という視野への変化。ガーデナーとしての視野が広がることで、庭の楽しみ方が増える。今は「花壇」への興味が高い。だからといって「庭」の視野を忘れることはない。「庭」と「花壇」そして「花」、マクロとミクロの視野の切り替えが、よりよい庭を造る重要な点だと思う。

私の庭は、マクロな視野にようやっと耐えられる最低限のレベルに達したが、ミクロな視野にはまったく耐えられない。造園的なマクロの視野で造ってきたが、それだけでは、鑑賞に堪えられる庭は造れない。

園芸好きな人の庭は、花は多いが、なにか雑多な感じがして、まとまりに欠けることがある。「花」というミクロな視野が優先されるため、マクロな視野に欠けてしまうのだろう。自分の造っている庭から、そういう感じを受けるならば、一歩引いて庭を見ることをお勧めする。そうそう、二階から見る、というのもいいかもしれない。花は小さく見えなくなり、庭全体の構造が見えてくる。(参考:上からの景色と雨の日の緑

ガーデナーには全方位的な視野が必要なのだと思う。


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nonosday

こんにちは。お庭作りの取り組む姿勢に感心して読ませてもらっています。出来上がった庭の評価は出来ても、一から庭作りとなると本当に難しいといつも思っています。私は花壇の植栽ばかりなのですが、やはりマクロがしっかり出来た所には、ミクロも映えますね。マクロを考慮して考えても出来上がりはイマイチだったりする場合が多いのですが、^^;;。力不足です。
お庭の写真を撮るさいも本当難いですよね、私の写すものなど魅力の無い写真にしかならなくて…。望遠で写してみます。
お二階からの写真とてもいいですね。レンガと砂利の色に枕木。葉物の植栽の中にガウラとテッポウユリがポイントになって素敵です。^^v
by nonosday (2006-06-18 15:21) 

チョコまる

うんうん…またうなづきながら読ませていただきました。
うちは鉢植えが主ですが、段差をつけたり、同じ大きさの鉢を並べないようにしたりしたり、少し引いた視線でながめて見栄えのいいように工夫しています。でもほんと、庭の全景って、余計なものが写っちゃうんですよね。
by チョコまる (2006-06-18 15:55) 

せり

今回も読み応えがありましたね。新しいステージの門出に、カメラも新しいステージに変わるんでしょうか?^ ^私もやたらガーデニングと言い始めた時は、マクロな視点だったような気がします。鉢植えをちまちまと育てると言うイメージはなかったです。ポールさんの講座に行ってから視点が変わったような気がします。ガーデナーには全方位的な4次元の視野が必要ですね。
by せり (2006-06-20 22:06) 

いむら@fintopo

以前から書こうと思っていたテーマなのですが、最近の思いとごっちゃになって、読み直すと少し散漫な感じですね。まだまだ追求する余地があります。

カメラも新しくしたいところですが、予算がありません。^_^;
あと1~2年は、今のカメラでがんばる予定です。
by いむら@fintopo (2006-06-21 18:49) 

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